ア キ マ 神社 それとも ア ク マ 神社?

~古代史ロマンへの飽くなき挑戦~

「秋間」の語源はヤマトタケルノミコトにかかわっていることは、既に「その(1)」で紹介された通りですが、安中市史第三巻の「飽馬神社」の項でも述べられているので、その説明を追記として紹介します。

『ヤマトタケルノミコト(日本武尊)は景行天皇の命を受けて、天皇に従わない東国の者どもを征伐するため道中を重ねて上州へやってきた。

今日も朝早くから馬に乗って進んでいた。こうして山の中の細道をたどり碓氷の峠をめざして行く途中で道端の老木の茂った小高い丘を見上げて馬の足を止めた。

命は毎日、馬に乗っているので飽き飽きしてしまったので、あぶみをはずして馬から下り、やがて丘の上に登られ、そこの石の上に腰をおろして、フーッと深い息を吐かれた。命は馬に乗ることが飽き飽きしていたのである。

その丘の辺りに飽馬神社が建てられている。

そんなことから、この地をアキウマ(飽馬)というようになり、これが詰まってアキマというようになり、アキマ(秋間)となったという。』

日本各地にヤマトタケルノミコトの神話やそれにかかわる地名が数多く残っていますが、わが秋間もその一つということになりますね。学術的な真偽は別にして純粋にロマンを感じることで許してもらいましょう。

その「飽馬神社」は西上秋間村の村社として、また「東神社」は東上秋間村の村社として明治43年の『秋間村郷土誌』に設定され今に受け継がれています。

みのりが丘地域の氏神は東(アズマ)神社ですが、飽馬神社はお隣の氏神様でもあり大事にしたいですね。地元の人の話では「飽馬神社」のことを「お伊勢さん」と呼んで崇めているようです。

北陸新幹線の秋間トンネル建設時の安全祈願と神楽殿の一部奉納が工事関係企業体からあったようです。

さて、問題は「飽馬神社」の読み方ですが、現在ではアクマジンジャが正式な読み方です。

冒頭に紹介した安中市史の説明では、アクマの読みの方が古いのか、アキマの読み方が古いのかは判断しかねますが、アキウマからアクマへの変化とアキウマからアキマへの変化が並行しているのかもしれません。

飽馬神社創設時期と秋間の地域名設定時期とでどちらが古いのか明確なところはわかりません。

いずれにせよ、心情としてはアクマというマイナスイメージからしても、飽馬神社をアキマジンジャと呼んで秋間との関連性を感じたいですよね。